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片付けで出たウエス。「モノの寿命を全うさせるために、捨てる前に使う」の偽善と使いやすいウエス3選。


服やシーツなどを片付けて減らしていくとき、掃除に使えそうなものはウエスとして残しています。ウエスは主に、キッチンで油汚れを拭いたり、床にこぼした水を拭いたり、窓を拭いたりして捨てるようにしています。

ただ捨ててしまえばそれまでですが、捨てる前に一仕事してもらえば、汚いところがきれいになるし、一石二鳥だと信じて疑わないでここまでやってきました。

ところが、ウエスについてハッと気が付かされるブログに出会ったのです。そして「ウエスにするのって、罪悪感を薄めようとしているだけなんじゃないか?」と思ったのです。

詳しく説明します。

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ウエスについての書かれていたのはへなちょこさん。ちょっと前の記事です。→【辞】私がウエス(古布)を作るのをやめたワケ。

へなちょこさんは30代半ばの方ですが、たとえタオルでも思い出を汚すようで、ウエスにするのをやめた、と書いておられます。掃除には掃除用に作られたものを使いたい、と。

この記事を読んで、なんだか胸がざわざわしたのです。

ざわざわした理由。

へなちょこさんのように「思い出を汚す」という感覚が、私にはありません。服としての役割が終わっているものを掃除に使ったとしても、だからといって落ち込むことはありません。

ですが、今まで「布のモノは、捨てる前にウエスにして、最後までちゃんと使い切るのが良いのだ」という価値観が自分の中に強く根付いていたことに気が付いたのです。

もっと言うと、もうひと働きさせて汚してから捨てることで、「捨てる」という行為に感じる罪悪感から逃げようとしていたのです。つまり、罪悪感を薄めるために「とにかくウエスにして、使ってやらなくては服や布に対して申し訳な立たない」と思っていたんですね。

「ウエスとして使えるのに、そのまま捨てるなんてもったいない」という感じです。我ながらビックリです。

なにがなんでもウエスに。

その結果、どんなものでもウエスにできるものはしようとしてきました。ウエス用に、と大量の予備軍も取ってありました。→アフターも汚部屋なままでがっかり。先の見えない断捨離のモチベーションを保つ方法

手作り服になりそこなった布も、ウエスになりました。→趣味のものの断捨離、スパッといかない理由とは?マシな収納スペースも公開

(一時期はフリースも磨くのには良いからと思い、取っていましたが、ずっと取っておいても結局は使わないので、今は捨てるようにしています。)

ウエスとして使える布も捨ててもいいんだよ。

へなちょこさんは、服を服のまま捨てることをためらいません。それは「服としては寿命を全うしている」と納得できているからでしょう。そして、掃除には掃除用クロスを使います。

それがへなちょこさんの価値観です。

私は「たとえウエスとして使えたとしても、使いにくかったり、必要じゃなかったら捨てる」という私自身の判断基準を持つことにしようと、今日、決めました。

服にできなかったからと言って、その布がリネン(麻)だからと言って、ウエスにしなくてもいいんです。無理やりウエスにして、使いにくいのに頑張って使い切らなくてもいいんです。捨てていい、と決めました。

使いやすくてウエスにしたいもの3選。

今まで使ってきての実感から。
1、綿素材のフラットシーツ。
2、タオル
3、Tシャツ。ただし厚めで吸水の良いもの。

もう一つ、リネンのティタオルもいいかもしれないな。→「ふきん」の贅沢。キッチンクロスにはリネンのティータオルを使っている5つの理由。

これ以外はたとえ「ウエスとして使えるかも」と思っても、潔くありがとうと言って捨てることにします。

「思い込み」ってあるんだ。

今まで、「布類はなるべくウエスにして使い切る」ということに疑問も抱かずに過ごしてきたことに気が付きました。自分の中に、「ウエスにすることは良いことだ」という前提があったのです。

「ウエスにしたくない布類は、ウエスにしない」と思ったら、気が楽になった気がします。とても不思議な感覚なんですけれども。

断捨離を実践している人たちは、よく「思い込みを捨てろ」といいます。今回はこの言葉が身に沁みました。

皆さんには、こんな思い込み、ありませんか?「あれ?」とざわついたら、それが思い込みに気が付くチャンスかもしれません。

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